のび太リアニズム

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zoom RSS きみは、最後に大きな判断の過ちを犯して去っていった。 〜友人を自殺で亡くして〜

<<   作成日時 : 2017/01/19 23:00   >>

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物心がついて以降、2度目となる親しい人の訃報は、
親族でも恩師でもなく、同級生だった。
それも、病死でも事故死でもなく、自殺だった。
私、「のびみつ」のこれまでの人生の中で、最も衝撃的な出来事だった。

※この記事は2010年9月2日に公開し,
2017年1月19日付けで改めて公開しています。
特記がなければ,すべて2010年9月2日現在の情報です。
毎年,この時期に日付を変えてブログ上部に移動しています。


※本来ならば、
 こういうブログ活動は当分自粛すべきなのかもしれません。
 しかし、自殺した同級生はパソコンを使うことが大好きで、
 高校2年の冬までブログ活動をしていました。
 そんな同級生の訃報に接した私がブログ活動を自粛すれば、
 彼はもっと悲しむかもしれません。
 彼の趣味であったブログ活動を中断するのではなく
 そのまま継続することによって、
 少しでも彼が安らかに眠れれば、と思い、この記事を作成しました。
 なお、今回の記事は私自身を落ち着かせるための記事でもあります。
 そのため、普通の記事とは異なり、〜である調を用いています。
 なお、この記事を公開したのは2010年9月2日です。

 

2010年8月30日、旧友と久しぶりに再会し、
食事してカラオケしてから書店に立ち寄って、
私がふと、
「このマンガ、○○くんが好きそうなのだよね。」
とつぶやいたことがきっかけだった。
「懐かしい人のことを言うんだね。彼は死んだよ。」
「え?」
「だから、彼は死んだよ。」
「ああ、さらにもう1年塾で頑張っているのか。来年はサクラ咲くといいね。」
「違う違う…… ……自殺。」


文字通り血の気が引いた
というよりも、あまりにも現実離れしすぎていて、
小説やドラマをみている感覚だった。
そして、聞くところによると約7ヶ月前のことらしく、
私のところに訃報がずっと来ていないことに疑問を感じた。

話を聞くにつけて、だんだんと現実味が増してきた。
両脚がガクガク震えた。
全身の力が抜けていった。
と同時に、この旧友がこんなにも落ち着き払っていることにいらだちを覚えた。
悲しみの表情も見せず、淡々と彼の自殺を告白していて、
こいつはどれほど冷酷なんだろう、と絶望した。

こいつと彼は私よりも親しい間柄だったじゃないか。
いつもちょっかいを出し合ってじゃれあっていたではないか。
この私の目にその光景は焼き付いている。
あれは幻だったのではないか。
そう自分が疑問になるほど、
旧友は淡々と語り、感情を持った人間なのか、と疑った。

私はろくろく歩くことができなかった。まず、視点が定まらないのだ。
そしてさっきまで楽しく食事してカラオケしたことを深く深く後悔した。
自己嫌悪にもなった。

私がサークルで書いている小説でも表現したのだが、
「こういう非日常に直面している自分にとって最もつらいのは、
まわりの平和すぎる日常の光景である」。
書店を後にし、そのとき旧友と地下街を歩いていた私は、
いつもと変わらない地下街の雑踏に直面し、
なおさら彼の自殺がつらくつらく思われた。

私の顔色が悪かったようなので、旧友は私を休憩室に連れて行ってくれた。
そこでペットボトル茶を飲み、心を落ち着かせようとした。
しかし、茶を飲むごとに吐き気のようなものを覚え、
結局ほとんど飲むことはできなかった。
私は旧友の平静な様子を責めていたが、
2時間弱すぎて、旧友との別れの際、このようなことを無表情で告げられた。
自分でも、少し無理して平静を装っている」。

私は固まった。
旧友は、あまりにも衝撃的なあの訃報を、
少しでも私の心の負担が軽くなるように、慎重なふりをして伝えてくれたのだ。
彼がもし深刻な表情で伝えていたらどうなっただろうか。
私はその場で気絶していたことだろう。
一見冷酷に見える旧友の心遣いが心にしみた。
そして、私が混乱・気絶しないように、
自分でもつらくて悲しすぎるのに、その感情を押し殺していたのだ。
旧友にいらだちを覚えた自分自身にさらなるいらだちを覚えた。

旧友と話して、若干気持ちが落ち着いたと思っていたが、
別れてから数十歩ほど歩いて、もう胸が締め付けられるような感覚を味わった。
ドラマみたいなことが現実になった。未だ信じられなかった。
それで、私はここにきて、これはデマではないか、と疑った。

そこで、訃報をいち早く知ったという友人に電話した。
(正確に言えば、すぐに電話するようメールした。)

本当だった。
受験本番に失敗し、深夜、自宅マンションから飛び降りたらしい。
遺体が発見されたのは翌朝だったとのこと。
驚いたのは、その本番というのが、
私も大失敗したちょうどそれであったということだ。
私はこう思った。


ボクも大失敗したさ、だから本当に行きたいところにはいけなかった。
でも、決まったところで頑張っているし、趣味も広がって、
本当に充実して幸せな日々を送っているさ。
なのにどうしてきみは自殺してしまったの。
ボクもそのときは本当に苦しかったさ。
帰り道、違うホームから違う方に向かう列車に乗って、
約40キロ離れたまちの駅に降り立って、
無意味にぶらぶら駅の周りを歩いてそのまま帰ったさ。
もちろん、現実は変わらなかったけれど、
それでも落ち着くことはできたぜ。
衝動的な自殺らしいけれど、どうして自ら夢を断ち切っちゃうわけさ
人生の中で、受験なんて微々たるものだと思う。
受験が原因で人生を自分で終わらせてしまうなんて、
自分でもばからしいと思わないかい?
ボクは覚えているぞ、きみが
「カノジョつくりてぇ〜!!」と絶叫していたことを。
おまけに、きみは級長をやっていたではないか。
そしてテスト前には予想問題をつくってみんなにやらせていたではないか。
ボクは、その予想問題のおかげで漢字検定2級を軽々取得できたんだから。
そういう指導者的素質のあるきみが、
本当の指導者の立場にならずして人生を終えてしまったなんて、
ボクでさえ悔しすぎる。きみならなおさらだろう。
カノジョつくること以外にも、
きみにはやりたいことがたくさんあっただろう。
受験が終わればそれらはできるんだぜ?
現に、ボクはブログを始めた。
ブログで憧れのブロガーさんとも交流できて、いつも幸福な気分だ。
学校でも、サークルに入って充実しているさ。
もちろん、新しいことが学べて毎日感動しているさ。
そして、カノジョとまではいかなくても、女の子の話友達もできて、
授業後、延々とおしゃべりを楽しむことができるようになったさ。
この、女の子にもてそうもない、変人のボクがだぜ?
本当に行きたいところにはいけなかったけれど、
それ以外にも人生の道はあるんだよ。
それを全部否定するなんて、きみは、ちょっと焦りすぎたと思うよ?
ボクは、きみに誘われてきみんちに行ったことがある。
覚えているよね。
ちょうど正月明け、百人一首大会の練習をしようということで、
お母さんが札を読んでくれて、きみと対戦したよね。
いいお母さんだったじゃないか。
素直でやさしい弟くんにも恵まれて、幸せな家庭だったじゃないか。
遺された弟くんのことも、考えてほしかったな。
休憩がてら一緒に食べたおやつの肉まんの味、今でも覚えているよ。
お母さんが皿を洗いながら、こちらに振り向いて
肉まんはお口に合うかしら、と言ったっけ。
そんなほのぼのとした家族を捨てて、
きみは自ら死を選んだ。

親思いなきみのことだから、
これ以上ご両親に受験の負担をかけたくないと思ったのだろうか。
ボクはそれほど親思いでもないから、あまりそう思わなかったんだけれど、
でも、
親にとって、子どもに先立たれる、
しかも自殺で先立たれるなんて、
これ以上悲しくてむなしいことはないと思うぜ。

まぁ、ボクも子どもの立場だから、実感はないけれどさ。
きみは、最後の最後に、大きな過ちを犯してしまったようだね……。



電話で、その友人はさらに、葬式に参列した元担任の先生の話をしてくれた。
遺族は泣きに泣いていたこと、
彼の愛していたサザンオールスターズの曲が流れていたこと……。
私は背筋が凍った。
さらにさらに彼の死が現実味を増してきたからである。
そういえば、彼は大相撲が大好きだった。
野球賭博であの大関が解雇になったことを、
向こうの世界で悲しんでいるかもしれない。

電話しながら、
私は大きな駅の入り口付近の柱にもたれかかって泣いた。
両脚がガクガク震えた。もちろん、声も震えていた。
電話でその友人は、常に私を気遣ってくれた。
「○○(私の名前)、大丈夫? 立てる?」
「○○(私の名前)、大丈夫? 無事に帰れる?」
その気遣いが本当にありがたかった。
駅は夕方の帰宅ラッシュ、通勤の方々が異常な私の姿を
不審の目で見て、通り過ぎていく。
そば屋さんでは、全く音を立てないようにして食べるほど
人の目を気にする恥ずかしがり屋な私が、このとき、
周囲の目なんてどうでもいいと思った。
警察官が3人、私の方に近づいてきて、
目の前で急に方向転換して去っていった。
日常の中の非日常である自分がこわい、と先に述べたが、
逆に、静寂な自分だけの世界であったほうが
なおさらこわかったのかもしれない。

30分ほどの電話の後、
幾分気持ちは落ち着いたが、
帰宅するのにはまだ心の準備が必要だった。
そこで私は母親にこのようなメールを送って、喫茶店に寄った。
「ごはんはいらない しばらく帰れない」
(キャッチセールスに捕まっているのか、と返信があり、)
「捕まっていない しばらく心を落ち着かせる 
 あとでメール打つ 駅の中の喫茶店」

3時間弱くらいだろうか、
オレンジジュースを飲みながら心を落ち着かせた。
そして、私が習慣としている、
「新聞形式で自分の身の回りの”ニュース”を家族に知らせる」
ということをしようとした。
少しでも客観化することで、心を落ち着かせようとする、
中学2年の頃からの長い習慣である。
携帯電話のメールで、「電子版号外」を打った。
何度も何度も胸が痛み、ジュースを飲み、深呼吸をして文字を打つ。
そういうことを繰り返し、
時計は夜9時になろうとしていた。
「そろそろ帰っておいで…みんな心配してるよ…だんだん遅くなるし」
こんなメールが母親から届き、そして彼のことを思い、胸が詰まった。
あのお母さんは、彼にもうこんなメールを打てないのだ。
そして、このメールがどれほど幸せなことなのか、実感した。
私はこのメールに「保護」設定をかけて、
帰宅の途についた。

そして、私は
「これから号外を配信。冷静に見るように。」
というメールを送り、
「はーい(ニッコリ笑う顔文字)」というメールを受信したのち、
下書きフォルダにある「号外」を送信した。
これほど送信ボタンを押すのに緊張したことはない。


△△通信号外 ○○くん、◇◇◇●日後に自殺

        …………
        …………
        …………

                △△通信




返信はなかった。






ところで、私はなぜこんな記事をブログに載せたのか。
それは、自殺というものについて、多くの方に
(それでも、何せこのブログなので、数はたかがしれているだろうが)
考えてもらいたいからである。

私は2010年5月、法学部の先生の紹介で
自殺について考える講演会・シンポジウムを見学した。
そのとき、自殺はどれほどむなしいことなのか、
しかもそれは私たちが思っている以上に身近な問題であることを知った。
いま、彼の自殺をうけて、それが自分自身の問題になった。
家族や友人を自殺で喪うことは本当に悲しいし、むなしい。
しかし、その心情を赤裸々に他の人に打ち明けることは
本来、しづらいものである。
私も正直、話したくない。
しかし、日本で年間3万人を超える人々が
自ら命を絶っている現状を考えると、
これ以上自殺者を増やしてはならない、と思ってやまない。
そして、家族や友人を自殺で亡くした人と
少しでもこの感情を分かち合い、
おのおのの人生を前向きに歩んでいく一助になれば、と思ってやまない。
さらには、
自殺というものを「自殺関係者」の中の閉鎖的なものにするのではなく、
社会のひとりひとりが真剣に考え、
一人でも自殺しない、させない風潮をつくりたい
と思ってやまない。

そういったことから、私は今でも痛む胸をおさえながら、
この記事を作成することにしたのである。




自分が死ねば他の人が幸せになる、という考えは誤っている。
逆に、他の人にとてつもないほどのショックを与える。
彼には申し訳ないが、自殺は、絶対にしてはならないことである。

○○くん、きみは飛び降りる前、
家族とこれまで過ごしてきた幸せな日々を思い返さなかったのか。
ボクだって、自殺したいなあと思ったことは何度でもある。
しかし、はっと思い出すのは、家族の顔である。友人である。
そして、私がこれまでに抱いてはあきらめてきた夢や野望である。
そういうものをぐるぐると考えているうちに、
「何を考えているんだ、自分は」と思ってくる。
まず、生きているということ自体が本当に尊いことである。
自殺してよい理由なんて、一つもないはずである。
自らの主義が崩壊してすら、命には代えることができない
生きるのが嫌になっても、生きるのが人間の義務だと思うんだ。


先に挙げた法学部の先生もおっしゃっていたのだが、
法律上、
自殺は犯罪ではないが悪いことである、という認識らしい。
その証拠に、自殺幇助は歴とした犯罪である。
また、いじめによる自殺でも、賠償問題では、
「あえて自殺という手段をとった責任」として、
いじめの加害者側の賠償責任が過失相殺されるとのこと。
(たとえば、加害者側が3000万円賠償すべき行為でも、
過失相殺されて2000万円のみ賠償する)


だから、というわけではないのだが、
とにかく、自殺は絶対にしてはならない
むなしすぎる。
そして、これはもっと広い方々を対象にして言いたいのだが、
自殺したい、とか「〜〜だったら自殺」とか、
冗談でも言わないでほしい。

自殺で友人を喪った身としては、聞くたびに胸が痛む。
家族を喪った身ならば、なおさらだろう。


虚無感が私を襲う。
しかし、私は彼の自殺を決して無駄にはしない。
まず第一に、決して風化させたりしない。
かつ、いつまでもくよくよしていたら彼が悲しむだろう。
風化させることなく、私は強く生きようと思う。
そしてくじけても、決して自殺したいと思うことは避けようと思う。
これが、自殺した彼のためにできるせめての慰めかもしれない。



私自身、「〜〜してあげればよかった」という後悔はない。
しかし、あまりにも衝撃的すぎた。

もしも、もしも、彼と再会できたら……
「バカ!」と叫んで一発ぶん殴って、
それからぎゅうっと力一杯抱きしめたい。


それができなくて、本当に無念である。

でも……



ボクは、生きるぞ! きみの分までしっかりと生きるぞ!
だから、安らかにおやすみ。
ボクのこころに、きみはずっと生きているんだからさ。
時間ができたら、きみのお墓にお参りに行くよ。
                        合掌



2012年追記。
東日本大震災が発生したことを彼と話し合いたい。
死んだ人と情報を共有することはできないが,
ぜひ話題にしたい。
でも,話題にして彼を悲しませたいのではなく,
「こんなに悲しいことが起きても,
復興に向けて立ち上がろうとしている。
日本はやはりすごい国なんだよ」と言いたい。




最後に。

自殺とは、
「その人の問題」で片付けられる問題ではありません!
「自殺する人が悪い」という考えはお捨てください!


私がごくごく普通の一般人であることからして分かると思いますが、
自殺は本当に身近な問題です。
真剣に考えてください。



この記事を見て心を動かされた方、ありがとうございます。
自殺は身近な問題であり、
私たち一人一人が真剣に考えねばならないことを、
ご家庭、学校、職場でお話しいただければ幸いです。

彼も少しは報われるのではないかと思います。


自殺を考えるほどお悩みの方は、「いのちの電話」をぜひご利用ください。

自殺で大切な方を亡くされてお悩みの方は、
各地の「自死遺族のつどい」にご参加ください。

上記含め、友人が自殺しそうだ、など、自殺以外でも
とにかくお悩みの方、「生きる支援検索サイト」をご利用ください。




2013年1月追記。
大学入学時に入部した部活の,当時の部長が自殺した。
その先輩は私と同じ学部・同じコースだっただけに,
痛恨の思いである。
教授陣やゼミ,部活内に,大きな悲しみが広がっている。
原因は,同じく進路関係。
生きているだけ,ただその存在自体に意味がある,と思ってやまない。
ちょうどこの追記を書く頃,大阪で「体罰」という暴行を受けた
バスケ部主将の高校生が自殺するという事件が大きな問題になっている。
また,この追記の前年には,大津市いじめ自殺事件も大きな問題になった。
さまざまな理由があり,デュルケムが自殺論として分類をし,
それにそれぞれをあてはめることもできるが,
ただ一つ,自殺はとにかく悲しい,このことは絶対的に共通するものである。
2012年の自殺者は10数年ぶりに3万人を割った。
自殺者が減るのは好ましいことだが,それでも支援は足りていない。
身近な人にとっては,人数など関係ない。
その人が生きているか死んでいるかのただそれだけ。
どんな状況にあっても,生きてください。
社会から逃げてもいい。受け入れているところは必ずある。
でも,命からは逃げないでください。
親しい人を複数,自殺で亡くしたみんなの願い。


2014年1月追記。
全国の自殺者は3万人を割ったが,
しかし依然として多くの人が自ら命を絶っている。
あくまでも数字,一人一人の人生があった。
その背景には何十人何百人もの関係者がいる。
一人でも少なくなることを祈る。
あらゆる主体に向けたセーフティネットが必要だ。

2015年1月追記。
「就活自殺」という言葉に触れた。
まさに,2012年に自殺された部活の先輩のことだった。
今もやるせない思い,大切な2人の命。
いま,自分はものすごく生活が充実している。
死ぬのが怖いくらい,楽しい。充実感に満ちている。
こんなときだからこそ,もう一度彼らに思いをはせて,しのびたい。

2016年1月追記。
今でも彼が夢に出てくる。6年経っても,彼がいなくなったということを信じたくない。
ご家族ならば,何億倍も,何兆倍もそのことを思ってるだろう。
猥談が大好物だった彼と,底抜けの猥談をしたい。
最近,沖縄県豊見城市での小学生4年生の自殺がニュースになった。
なんと悲しいことなのだろうか。

2017年1月追記。
多くの方々に,この記事をご覧いただき,
少しでも冷静になったり落ち着かれたりする方がいらっしゃるのならば,
彼にとって,これ以上の報いはないと思う。
もちろん,今でも彼が夢に出てくる。
彼に関する記述がたくさんある,日記を実家から持参した。
見返しては,失った人の大きさが身に染みる。
同時に,本当にいなくなってしまったのか,疑問さえ出てくる。
また連絡をとって会えるような気がしてしまう。けれど,それはありえない。
自殺を正当化したり美化するつもりは毛頭ないけれど,
有名な言葉 「人は二度死ぬ」を思い出す。
一度目は肉体的な死,二度目はその人自体が忘却されることによる死.
キミは死んだけど,二度目の死は当分の間,絶対に来ない。
ボクがいつも思い出しているから.


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コメント(19件)

内 容 ニックネーム/日時
初めまして。Kです。
のびみつさんの記事を拝見しました。書き辛かったと思います。読ませてくれて、ありがとうございました。

教えていただきたいのですが、のびみつさんが自殺はいけないと思う理由は、周囲に迷惑を掛けるからなのですか?
いきなりこんな質問をした理由は、自殺はどうしてしてはいけないのか考えていたら、もしかしたらそんな理由は端から無いのかもしれないと思い始めたからです。
確かに自殺は悲しい出来事です。けれど生きていても周囲に迷惑を掛ける場合もありますよね。また、天涯孤独な人についてはどう思いますか?
よろしくお願いします。
K
2015/03/17 01:50
Kさん,読んでくださって,そしてコメントをありがとうございます.

この記事では,周囲に迷惑をかけるから,ということがメインで書いているように見えますが,もちろんそれだけではないでしょう.確かに,世の中には「個人の自由」が尊重されるべきものがたくさんあります.しかし,(助からないことが確実な病気に対する安楽死・尊厳死という議論を除いて)自殺することに対して,個人の自由を絶対認めてはいけないと思います.周囲の人や,公共の組織が,何としてでもくい止めて,その人が暮らしやすい,生きやすいような環境で復帰させるべきだと思います.それは,この世に生を受けた人間同士が助け合う義務があると考えるからです.

生きていても周囲に迷惑,とおっしゃいますが,周囲に迷惑をかけない人なんていません.それこそ「お互い様」です.人はそうやって,お互いに助けて,助けられて生きていくものだと思います.
天涯孤独な人は,いそうでいません.必ず,どこかで誰かに支えられていますし,誰かを支えているはずですよ.
のびみつ(管理人)
2015/03/20 21:58
のびみつさん、お返事ありがとうございます。
周囲に迷惑をかけることがない人はいないかもしれませんが、程度の差はあると思いませんか?例えば、死刑になる様な犯罪者と一般人では全く違うでしょう。
それに、実際に自殺した人達のなかには、孤独に絶望して自ら死を選択した人もいます。
K
2015/03/26 23:51
死刑になるような犯罪者というのはすごい例えですね.「迷惑」と「犯罪」は違います.生きていれば,誰かしらにお世話になります.そういう文脈のなかで,ちょっと手間をかけさせてしまう,ということでしょう.それはお互い様です.
孤独に絶望して死を選択する方,確かにいます.それは極力減らさなくてはなりません.社交場をつくるとか,配達のついでに健康を気遣うとか.高齢者だけではなくて,若い人の孤独対策も求められます.「社会のセーフティーネット」で,孤独に苦しむ人々を助けなければなりません.
のびみつ(管理人)
2015/04/06 00:15
のびみつさん、こんばんは。
お返事ありがとうございます。
今更かもしれませんが、こんな話をして、のびみつさんを不快にさせていませんか?
私の知人は脳の障害を理由に死にたいと言っていました。
今までずっと人間関係でトラブルを起こし続け、仕事もままならないそうです。私はそれを聞いた時、のびみつさんみたいに死んではいけないと断言出来ませんでした。死んだ方が楽になれるんじゃないかと思ったからです。私は声を掛けることはできてもその人の苦痛を肩代わりすることは不可能だからです。
苦しんでいる人には死ぬ権利があってもいいんじゃないでしょうか?
K
2015/04/09 20:48
脳の障害であれば,話は別です.医療によって,少しでも状況が良くなるようにする必要がありますね.
とはいえ,声をかけることはそれはそれで重要だと思います.解決にならなくても,その人が話している間,少しでも楽しんでくれれば,息抜きになってくれれば,声をかけてお話する意義は十分にあります.
たしかに,安楽死・尊厳死の議論は多くあります.病気ということになると,その議論に入ってきますね.
のびみつ(管理人)
2015/04/17 23:37
自説ですが、自殺はこの国の教育とも関連してます。

政府が公開している3万人というのは実際に公認された数字であり、行方不明や変死を含めれば10万人とめ言われています。日本は本当は世界一の自殺大国だと思うのです。

のびみつさん、あなたは会社や学校で全員がYの答えを出している中で、Nの答えを出せますか?

さらに、あなたの仲の良い友人が人と違うNの行動を取り、Yの行動をとった人間達からイジメられても、あなたは仲の良い友人と同じNの行動を取れますか?

言うはやすし、行うはがたしです。

また、こういう例でもいいでしょう。

死ぬほど好きな人からフラれました。
のぶゆきさん、あなたは人前でもワンワン泣けますか?

人前で泣くことに恥だと感じる様な『男のくせに』という教育を受けた人間は、告白しフラれる事に死ぬほどの恐怖を感じます。

本当はそれぐらい好きだと泣けるだけ泣き、自らの想いを告げる事で人は次の恋に立ち向かえる。

しかし、ある種の家庭環境やパターナリズム、あるいはミュンヒハウゼン症候群でもいいでしょう。

そのような家庭で育ち、能動性を摘み取られた片翼しか無いような子供は『人前で感情表現する事に極度の恐怖を感じる』のです。

そして、好きな人を悪い男、女から奪われ、その代償として奪い返します。

文明が発達するにつれて子供は性欲を叶える事を覚えても、人を信じれずにいる。つまり、誰かを信じ、自分わさらけ出せる人。その人に甘えたいと願っている。

しかし、この国にはそんな普通の愛がある平凡な家庭で生まれた子供はそれができても、何らかの事情でそれが出来ず自ら命を断つことで不安から逃れようとする仕組みは心理学的に確かに存在します。

つまり、自殺とは現実という不安からの逃避なのです。人は生まれてくる親を選べませんから。
通りすがり
2015/05/03 00:24
通りすがりさん,コメントありがとうございます.
たしかに,3万人という数字はごく一部かもしれませんね.そして,教育が重要というのもそのとおりです.
例えば,以前ほどではないですが,学校では,まだまだ性的マイノリティに対する理解が足りていません.とくに性的マイノリティの中でも,「性別違和」よりも「同性愛」などの方がまだ理解が足りていません.学校でも理解・寛容の教育が行われず,社会全体でも理解が進んでいないため,性的マイノリティの「自殺しようと思った」人の割合はかなり高いようです.
自殺を防ぐような教育も必要ですね.
のびみつ(管理人)
2015/05/03 19:35
のびみつさんはじめまして。

つい1か月程前に親友が飛び降り自殺で亡くなりました。
まだ心の整理がつきません。そして最後の最後までメールでやり取りしていたのは私でした。

未だにメールを見返しては涙が止まらなくなります。
薄情かもしれませんが止めることができなかったことに関しては後悔していません。

できるだけ親友の気持ちに寄り添い共感したかったからです。
でも、どうして死を選んだのか。
あの子の決意は思った以上に固かった。

今でも感情がぐちゃぐちゃです。思い出がたくさんありすぎてフラッシュバックします。あの時一緒に飲みに行ったなとかここでご飯を食べたなとか。

そのお店を通る度に思い出し涙が出そうになります。
あの子と一緒にプレイしたゲーム、好きな音楽。
私もメンタルな病気を持っているので自殺したくなる気持ちは痛いくらいわかるのです。だからわかりすぎて止められなかった。
でも、止められなかった。

そんな思いがぐるぐると頭の中を巡って止まらないです。
とてもつらいです。

大好きだった親友が自殺をするなんて思ってもいませんでした。
この間飲みに行ったばかりなのに。この間遊んだばかりなのに。

身近な大切な人が自殺という形でいなくなるということがこんなにつらいとは思ってもいませんでした。
だからこそあの子の分まで生きなければいけないと。
のびみつさんが仰る通り命あってこそです。命があれば公的機関に頼ったり専門家に相談したりそういう事で防げる可能性はゼロではないはずです。

私もあの子が飛び降りる前に一発ビンタして抱きしめてあげたかった。それもできない。もうこの世にはいないのですから。

とりとめのない文章で申し訳ありません。
しかし私のコメントで誰かが何かを感じてもらえたら幸いです。
まっぴー
2015/06/01 13:58
のびみつさん
自殺は本当にいけないのでしょうか?
まわりに迷惑をかけるのはわかっているし、そんなことよりも
ただただ苦しいと思う人だっています。
周りからみたらたいしたことじゃないのかもしれない。

でも、、たった一つの大事にしてた人だって最後は
心に致命傷を与えてる人もいる
思ったとおりにならないこともあるのはわかるけど
なぜ死のうと考えてしまったのか、、死んでしまえば伝わることだってあると思う。

誰しもが乗り越えられるわけじゃない。不可能だったことだって
あるんだと分かるべきだし、少しの人でも死を目の当たりにして
言葉は凶器だとしるべきだと思う。


なにもかも失った人間に死ぬなと言えますか。
未来なんてもうどうでもいいと思ってしまった自分に
無理やり未来を歩かせて折り合いをつけて生きろといいますか?

残された方もつらいかもしれないけれど
自殺した本人が、どれほど辛かったかわからないんですか?
なぜ立ち上がれなくなってしまったか考えないんですか?

神様とか、来世とか信じてるわけではないにしろ
来世を早く迎えたいと思う気持ちくらい分かってほしい。。

ちゃんと深い理由がある。
まわりからしたらたしたことじゃなくたって
本人にとっては、命がいらなくなるほどのことだったということ
じゃないんですか?

僕には、このブログは響きません。
ただ残された側のエゴにしか見えません。
残された側の気持ちなんて、終わったものを見て傷ついて
それで?結局。
自殺した人が悪いとまだ責めるんですね。
なにもできなかったくせに


AIN
2016/07/21 02:41
難しいご指摘ですね。むろん,生きていることが地獄の方もいらっしゃいます。そういう方に,ただ「死ぬな,生きて」の言葉だけをかけることなどできません。大事なのは,まわりにいる人がまずは悩みに寄り添うことでしょう。解決策を考えるというよりも,悩みを分かち合う。
死にたいというつらい気持ちを理解するのはもちろん重要ですが,自殺という行為までは賛成せずに,踏みとどまることができるように寄り添う努力をすることが大事なのでしょう。それでも結果的に自殺してしまった場合は仕方ありません。

自殺してしまった人を悪だ,と責めるつもりはありません。突発的な自殺の場合もあるでしょう。あるいは,自殺することによって何らかのメッセージを社会に訴えたいと思う場合もいるでしょう。周りの人が自殺を未然に防ぐよう努めたうえでも自殺してしまう場合もあります。それはそれでどうしようもないことですが,万が一死んでしまったら,その死を無駄にしてはいけないと思います。

残された側のエゴと思ってもらってかまいません。その人はもう返ってくることは決してないけれど,これ以上新たな人を増やさないようにするため,その人をしばしば思い出して,何か困っている友人知人が身近にいたら寄り添う。
私の場合,自殺前に彼と日常的に会ったり連絡をとったりする機会はなかったので,時間差で突然の訃報という形になりましたが,彼の死を無駄にはしたくありません。
のびみつ(管理人)
2016/07/23 22:32
自殺することを思い直そうかと思いました。あなたのお陰で少し救われました。ありがとう。
fool
2016/11/01 16:46
それほどのお言葉をいただけるとは感激です。つらくなったら,溜めこまず,周囲の人や公的機関などにSOSを出してください。
のびみつ(管理人)
2016/11/07 23:00
21歳の大学生です。去年耳にした大親友の訃報を未だに受け入れられません。夜になると彼のことを思い出し、もう彼と遊べないことんだな、と嘆く毎日です。
しかし、頭では彼の死を理解しているものの、正直私は彼が生きているような気もしているのです。たとえLINEの既読が一年間つかないままでも、脳天気でいたずら好きだった彼が私をからかっているだけのような気がしてならないのです。
彼は躁鬱を患っており、私も相談を受けたのですが、当時は私も精神的に大変な時期だったので邪険な対応をしてしまいました。本当に自分は薄情な奴だと思います。
彼がいなくなった生活に楽しみや、更には私が生きる意味を見いだせません。
管理人さんはなぜ前を向けるのでしょうか、また、どのようにしたら彼の死を受け入れられるのでしょうか。
乱文失礼しました。
みやはら
2017/01/23 05:15
みやはらさん,コメントありがとうございます。
もう1年ですが,まだ1年…受け入れられないのも自然です。とても現実とは思えませんもの。「死」というイメージとは裏腹に,自分は,彼との関係のない日常を送らざるをえないというギャップが,なおさら受け入れがたい理由かもしれません。
比べることはよくないことかもしれませんが,みやはらさんの受け入れがたさや悲痛さは,私の比ではないとお察しします。私の場合の彼は,いろいろなものを共有した「親友」とはいえず,「友人」の域を脱していません。彼とかたいキズナで結ばれた日常を築いていたかというと,正直そこまでではありません。ただ,いま,私の親友がもしそういう状況になったら,私自身も立ち直れる気がしません。続
のびみつ(管理人)
2017/01/25 00:07
ですので,私がみやはらさんにアドバイスできるような立場や経験者ではありませんが,それを前提にコメントさせていただきます。私は,幼い頃からものを書くことで心を落ち着かせる人でした。そのため,私は彼の死去を伝える「新聞」を書きました。彼の写真(卒アル)や,経緯や理由,彼との会話やメールのやり取り,「社説」と題する所感… 泣きながら書いて,ときどき見返しています。そしてこのブログ記事も。それを繰り返すことで,疑似的にも受け入れようとしているのではと思います。
そして,就寝時などには,彼を抱きしめる妄想も何度もしました。形のある彼の身体は,決して帰ってきませんが,それでも形のある彼を想像して,思い出しながら。すると,ときどき夢にも彼が出てきて,バカ話をしたり,楽しく遊んでいます。起きたときには,寂しさと少々の幸福感を感じます.
ひょっとしたら,私はそれこそ能天気かもしれません。受け入れるどころか,「現実逃避」しているかもしれません。でも,自分にとっての日常生活(大学生活)に支障がない程度に,現実逃避を絶えず繰り返すことで,受け入れているように見えるのかもしれません。
のびみつ(管理人)
2017/01/25 00:07
ご返信ありがとうございます。
死去を伝える新聞ですか…、仰るとおり文字に起こすことで気持ちが整理できるかもしれません。
それにやはり自殺という方法でこの世を去ったため、ご遺族の方も訃報を知らせにくいのかもしれないですね。
考えてみると、彼の死を知る数少ない人間として、少しでも彼の死を友人に伝えて共に悼むことが私の使命なのかもしれません。
就寝時は辛いですね、思い出が沸々とよみがえってなかなか眠らせてもらえません。
夢の中にもたまにでてきてくれます。
ですがやはり妄想したり、未だに彼が生きていることを信じたりするのは現実逃避ですよね …。
私ものびみつ様のように、自分にできることをしようと思います。
ここで相談してご返事を頂いて、少し前向きになれました。
まだ夜はなかなか眠れませんが、程ほどに現実逃避しながら生きていこうと思います。笑
ありがとうございました。
みやはら
2017/02/01 05:19
すみません。
それでも、私は自殺以外の事が選択できません。
必死に説得して頂いたのですが、本人としてはそれしかないのです。
逃げていると言われても仕方ないのでしょうし、否定もできません。
貴重な意見を有難うございました。
通りすがりです。
2017/02/14 13:59
コメントありがとうございます。
どのような理由であれ,自殺しかない,ということはありません。そこまでの大きな勇気をもって,実行力を発揮してまで究極の「逃げ」を行う必要は逆にありません。つらい現実があれば,そこから少し逃げるだけでよいのです。社会の中に,支えてくれる存在は必ずいます。頼っても良いのです。そこまで大きな決断をしなくても,苦しい現実からは簡単に逃れることができます。
そこまでの大きな決断は,別の用途に残しておいてほしいなと思います。
のびみつ(管理人)
2017/02/17 22:28

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きみは、最後に大きな判断の過ちを犯して去っていった。 〜友人を自殺で亡くして〜 のび太リアニズム/BIGLOBEウェブリブログ
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